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あるがままの状態から始めるしかない。

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何かことを為そうとするとき、「お金が手に入ったら」「余裕が出来たら」「時間が出来たら」「この病気が治ったら」「そのうち」・・・こうした条件を課すことが結構ありませんか。多くの場合、いつになってもやらないのが普通です。人は、今までの習慣や慣れ親しんだ生活スタイルから変わることに抵抗を示します。新しいことをはじめようとすると、こうした言い訳をして、慣れ親しんだパターンから抜け出すことを暗に拒否するのです。



確かに、やったことのないことに手を出そうとする時、それなりの勇気が必要だと思います。しかしこの躊躇は、「うまくやりたい」「失敗したくない」「恥をかきたくない」「自分の能力不足をバカにされたくない」などの気持ちが起因している場合がほとんどです。

善を為すのに条件などいらないのです。自分のできることから始めればいいのです。自分の今の能力から始めればいいのです。人目を気にすることは、自分のエゴにすぎません。それより実際にことを始める方が重要ですよね。


聖書の出エジプト記4章に、神がモーゼにエジプトからイスラエルの民を救い出すよう命じたとき、モーゼは「彼らは『主がお前などに現れるはずがない』と言って、信用せず、私の言うことを聞かないでしょう」と抵抗しました。すると神は、「あなたが手に持っているものは何か」と言われた。モーゼは「杖です」と答えると、神は、「それを地面に投げよ(それを使え)」と言ったのです。

そうなんです、神は「私がすべてうまく行くように取り計らうので、何も心配しなくてよい。お前は何もしなくてよい」とは決して言わなかったのです。



モーゼにすれば、もう、かなりの高齢(当時80歳)で、自分には体力も説得力もないし、とってもそんな一大事を為すなんてムリ!と思ったでしょう。でも神は、「今、手に持っている杖を使え!」と言ったのです。そしてそこに神が救いの力を注ぐ。と言っているのです。



私たちは、大きなことを為そうとすると、何か「自分なりの武器」がないことには何もできない。と勝手に思い込んでいます。モーゼはエジプトにのり込むのに持って行ったのは「杖」ですよ「杖!・・・老人の」。

そう思うと、私たちは、何かもっとましなものを一つぐらいは持っているでしょう!!

その小さな持ちもの、小さな力、持っている個性、持っている強みを使えと言うことなんですね。



それを使って、善を始めるのです。すると、神様は了解して、必ず助けてくれるということです。

なんだか、少し安心しませんか。前に踏み出せそうな気が・・・・・。

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